【トゥール・スレン(S21)虐殺犯罪博物館】ポルポト独裁政権、極秘センター。※写真注意

2017年5月の旅。

Cambodia🇰🇭Phnompenh🌴
(カンボジア、プノンペン)

▶︎プノンペンに到着

寝台バスでシェムリアップからプノンペンに拠点移動。

着いてすぐ宿にチェックインして用意して、予定の都合上プノンペンでゆっくり時間が全然とれんくて、プノンペンに行くなら絶対行きたかった場所へ。

▶︎トゥール・スレン(S21)
虐殺犯罪博物館

カンボジア行きが決まってから、アンコール遺跡より絶対に訪れたかった、街中に突如現れる場所。

トゥール・スレン

ポルポト独裁政権時代
極秘センター、通称S21。

※受付で音声ガイドの日本語があるので、ここを訪れるなら絶対借りて聞きながら、施設を回ってほしい。

トゥール・スレン(S21)▶︎1976年、クメール・ルージュが「革命に学問は不問」という理由から、医者や弁護士、公務員や教師など資格を持った知識人は勿論、メガネをかけているだけでも、外国語が話せるだけでも、本を読んでいるだけでも知識人と見なし、理不尽な理由で罪のない人々を次々に収容し、尋問、拷問、処刑などと称して、ありとあらゆる虐殺を繰り返し行われていた場所。

クメール・ルージュ(カンボジア共産党)支配下のカンボジア(民主カンボジア)において、設けられていた政治犯収容所の暗号名がS21。今は地名を取って、トゥール・スレンと呼ばれており、国立のトゥール・スレン虐殺犯罪博物館となっている。

2年9ヶ月の間に14,000〜20,000人が収容されたと言われ、その内に生還できた人数はわずか8人のみ。(現在身元が判明されているのは7人)これまでは7人とされていたが、2007年に別の刑務所に移送され生き残った女性1人が名乗り出た。

しかし恐ろしいのは、このような施設がカンボジアには何ヶ所もあり、それぞれの施設で虐殺が行われ、カンボジア全土で人口の3分の1が犠牲になったと言われている。(正確な人数は今も不明)

かつては普通の高校やった場所。ポルポトが政権を握るようになり独裁政権が始まってからは、虐殺の為だけに使われた。

何の罪も犯してない人達に、いくら拷問したって自白する内容自体ないのに。

部屋の上にはクメール語で、会話禁止の絵が。

部屋の中は、

目を伏せたくなる酷い現実、信じられへん写真の数々が中に展示されてる。

一歩建物に足を踏み入れると空気が変わる。

当時拷問に使われた実際のベッドとその写真がある1番最初に入る部屋。

クメール・ルージュが撤退し、ベトナム兵により施設が暴かれた時に、拷問を受けて亡くなった人の死体がそのままになっていたそうで、その時の写真が各部屋に。

写真が白黒で鮮明に写ってないものもあれば、光の加減でちゃんと写っているものもある。

どの写真にも血が飛び散ってて、こんな大量の血が出る拷問って考えただけでも恐ろしい。

これがホンマに同じ人間が出来る事なん?って何回も思った。

テレビや本や映画などでもよく特集されてるし、教科書にも載ってるし授業でも習ったけど、大人になって改めて歴史を知ると、どれだけ残酷か思い知らされる。

これがまだつい30年くらい前の事なんて、ホンマに信じられへん。

各部屋に窓はあるものの、出られへんように鉄格子が設置されてて、心の底からから外に出たい、逃げたい、生きたいって思ったやろなぁ。

床には当時の血の染みが残ったままで、見れば見るだけ信じられへん気持ちが強くなるけど、紛れもなく本当にあった事実。

階段を上がると部屋の中には牢屋があって、実際目にすると狭く小さい。ここにも床には血の跡や足枷があった。

施設内は1人でじっくり見たくて1人行動してたけど、ここは立ち入りたくないと思ったくらい、正直怖かった。

昼間の天気もいい日で光も入ってるのに。外とは異世界みたいな異様な空気。

当時の拷問をしてた側の人って、きっと洗脳されてマインドコントロールされてたとは思う。逆らったら自分も殺されるやろうし。

でも、こんなん人間じゃないって思ってしまう。人間の姿をした違う生き物に感じて仕方なかった。

ちなみにここで働いていた、拷問する側の人間は14歳前後の子供。
知識のある大人より、真っ白な子供を洗脳する事にしたポルポト。

外にも拷問器具が。

これは下にある壺に糞尿を入れ、逆さに吊るして顔を入れ意識がなくなれば出して、意識が戻ったらまた入れての繰り返す拷問や、首を吊って処刑などに使われていた器具。

音声ガイドに従って回ると2〜3時間はかかる。

写真禁止な部屋もあってそこの写真はないけど、実際ここで犠牲になり殺された人達の、真正面を向いて番号と共に撮られた顔写真だけの部屋があって、真っ直ぐこっちを向いた目を見るのが、ホンマに心痛かった。苦しかった。

他の部屋にはここで亡くなられた遺骨や数々の拷問器具。銃などは使わずに、斧やナタなどで長時間の苦痛を与えた。

亡くなられた方達の名前が刻まれている。未だに新たにわかって名前が増え続けているらしい。

ここに訪れてからキリング・フィールドも行きたかったけど、滞在時間の都合で行かれへんかったから、次カンボジアに来た時は絶対訪れたいし、トゥール・スレンもまた訪れたい。

この当時の犠牲になった人達を、現代に生きさせてあげたかった。

白いお墓は、ベトナム兵がこの施設を見つけた時に、最初に発見された9体の遺体が眠るお墓。

ポルポト政権が崩壊た後、カンボジアの人口の85%が14歳以下。

知識人を徹底して虐殺したが故に、知識がない人達や年寄りや子供ばかりが残り、経済がなかなか他国に比べ遅れてしまい、発展してこなかったのも納得。

メッセージが書ける部屋にて。

世界の歴史上で、信じられへんような酷い歴史がいっぱいあって、日本だって唯一原爆が落とされた国やし、神風特攻隊とかだってそう。

自分が生まれてからホンマに、平和な毎日を過ごせてるけど、世界中で犠牲になってきた人達がおったからこそ、与えられた現代で、今で。

人間はすぐありがたさを忘れてしまう生き物やけど、当時の事を思えば今ある悩みもちっぽけで、生きるか死ぬかの問題じゃない。
そう考えたら自分の生き方も改めなアカンなーって思うな。

完カンボジア、プノンペン、シェムリアップ。

📷2017.05 Cambodia🇰🇭Phnompenh🌴
Tuol Sleng(S21)⛓

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